●本を出したいと考えている人へ
「女性」をキーワードに女性に関する情報を提供している出版社パド・ウィメンズ・オフィスが自費出版・企画出版のご相談をお受けします。


 2010年3月号から
東門美津子さん発「女性たちの未来〜マジョリティの可能性〜」
 

 2009年10月号から
富山妙子さん発「『大地の芸術祭』と画家人生」
 

 2009年5月号から
堂本暁子さん発「真の地方自治はジェンダーの視点から 〜女性知事の8年間〜」
 

 2009年4月号から
新谷のり子さん発「新たな『命』を育む女(ひと)たち」
 

 2009年2月号から
坂元良江さん発「未来の住まい コレクティブハウジング」
 

 2009年1月号から
吉沢久子さん発「きわめて、あたりまえのことですが」
 

 2008年11月号から
佐々木静子さん発「ジェンダースペシフィックな医療」
 

 2008年9月号から
中山千夏さん発「女の岐路」
 9月号に登場していただいたのは、現在、著作活動に専念するかたわら、死刑廃止運動などの市民運動にも積極的に関わっている中山千夏さん。

 中山千夏さんからのメッセージは、「万年被害者を続演中である女は、これから暴力とどう向き合うのか。これが女の岐路だと思う。」と“暴力と女”について。
 女は、妊娠出産育児の運命から、そうやすやすとは逃れられないだろう(中略)
 言うまでもなく、妊娠出産育児は暴力への参入をさまたげる大きな障害だ。それから解放されない限り、大多数の女は、ましな場合でも、男(あるいは暴力を持つ一部の女)を介して間接的に暴力に参入することしかできず、だいたいは暴力の被害者となっているしかないだろう。そして時折その憂さを、より弱い人間、子どもに対する暴力として、晴らすしかないだろう。今と同じだ。(中略)
 とりあえずは、「人間社会の骨格は、暴力であってはならない、話し合いでなければならない」という定理を、しつこく立て続けることだろう。幸いなことに、それは、ある。たとえ、お題目にしか見えなくなっていようとも、あることはある。私たちが断固として暴力を振るわず、暴力に加担せず、暴力に対してすら、暴力をもって戦いはしない、と日々決意し、日々実行することで、お題目を現実にすることができそうに思う。そして、なにより肝心なのは、これから女が、妊娠出産育児を、女の常道でも、ましてや国家繁栄の礎でもなく、第一に、「人間に先天的なアンチ暴力の営み」として、しっかり握りなおすことができるかどうかである。そんな気がする。

 2008年8月号から
林 陽子さん発「30周年を迎える女性差別撤廃条約」
 8月号に登場していただいたのは、08年1月より国連「女性差別撤廃委員会」(CEDAW)委員に就任した弁護士の林陽子さん。日本では女性差別撤廃条約の批准によって男女雇用機会均等法が制定されたことはよく知られているが、その後の動きについては一般的にあまり知られていない。そこで、今月号ではCEDAWについて書いていただいた。

 「CEDAWは女性の権利擁護に一定の役割を果たすと共に、CEDAWも次のような意味で発展してきたと思う。
 ひとつは、国が差別を撤廃する義務とは、国が自ら差別に手を貸さないことだけではなく、企業や個人が主体となる差別をも是正する義務を負うことを明らかにした点である(「公私二分論の克服」)。(中略)
 もうひとつは、女性に対する暴力の「発見」である。(中略)
 最後に、複合差別の視点の強化である。女性は女性というクローン人間なのではなく、その中に社会的な立場の強弱を併せ持っているのだから、人種・国籍・民族・言語・障がいなどをめぐる差別にもっと注視しようという試みである。(中略)
 ひるがえって日本の状況を見ると、女性の雇用の非正規化、女性の高齢者の貧困などの問題に加えて、女性の身体の安全が揺らいでいるのではないかという危機感を覚える。特急電車の中で女性が強姦され(しかも加害者には同種前科があり、逮捕前も同じような事件を繰り返していたという)、ステーキハウスで食事をしていた女性が店員に拉致されガレージで強姦されるといった事件が相次いで起こっているが、これらの事件の原因を究明したり企業の社会的責任を追及したりする動きはないに等しい。(中略)
 来年2009年にはCEDAWの日本政府報告書審査が行われる。日本の女性運動は、これを好機として、改めてCEDAWを日本の中で活かしていく工夫をしてほしい。(中略)」

 2008年7月号から
渥美雅子さん発「女たちの自己実現」
 今回7月号のメッセージは渥美雅子さん発。家族・相続・DV等の問題を得意 とする弁護士であり、現在「女性と仕事の未来館」の館長も務める。
 プライベートでは、1997年11月渥美講談塾を開設。法律事務所の会議室に高座を手作りし、またボランティアで老人施設などに出前講談もしている。高座名は渥美右桜左桜(あつみうおうさおう)。

 今、若い女性たちは「自分探し」に熱心である。自分にどんな仕事が向いて いるか、どんな会社が働きやすいか、転職もいとわず探し続ける。いわばジョ ブ・ショッピングをしながら、最も適した仕事を探し、最も幸せを感じる瞬間を求め続ける。
 また、結婚や妊娠、出産を機に家庭に入ってしまった女性たちも子育ての手 が離れたとき、家庭の中で、毎日同じような家事をこなし、誰にも評価しても らえない生活を続けることが、むなしい苦行だと感じているに違いない。その 時、ふと彼女たちの頭に浮かぶ言葉は「自己実現」である。これまでの人生で 積み残してきた何かに再び挑戦し、生き直しをしようとする。時には、それが 熟年離婚にまで進展する。
 今、若い女性たちが自分探しをするのも、また中高年の女性たちが離婚まで 決意して自己実現を目指すのも、21世紀の新しい文化を作る壮大な実験の一端 なのかもしれない。男たちも共にその実験に参加してくれるといい。――と結 んでいる。   

 2008年6月号から
藤本由香里さん発「少女マンガは女性の意識を映す」
 今回6月号に登場いただいたのは、藤本由香里さん。昨年(07年)まで筑摩書房で編集者として活躍。その傍らマンガにも造詣が深く、鋭い「少女マンガ」の批評家でもある。今回も勿論「少女マンガ」がテーマ。

 20代の頃から、「少女マンガ」について執筆してきた藤本さんは、このメディアがいかに女性たちの意識の変遷を、半ば先取りし、新しく来る世代の女性たちの価値観をいちはやく反映していることに気づく。ここ数十年の日本社会の変化は、女性たちの価値観の変化と軌を一にして起こってきたという。
 60年代末に登場した少女マンガの「恋愛」は古い価値観から「縛られない愛」へと変遷し、ついには「寝たい人とは寝る。寝たくない人とは寝ない」というシンプルな自由を勝ち取る。ここ10年くらいは「恋愛」はすでに少女マンガの第1のテーマではなくなり、「仕事」を含めたトータルな自分の人生の中の一部、という位置づけに変わってきている。「女の人生は男しだい」ではなくなってきているのである。と書いている。
 そして今、「少女マンガ」はまさに「世界」に広まりつつある。「女性の、女性による、女性のための」表現=「少女マンガ」。それが世界の女性たちを結ぶ絆になる日も近いのではないだろうか。と結んでいる。   

 2008年5月号から
信田さよこさん発 「カウンセリングは心を対象にするのか」
 今回5月号は、臨床心理士であり原宿カウンセリングセンター所長の信田(のぶた)さよ子さんからのメッセージ。
 長年カウンセリングの仕事に従事してきた信田さんならではの、家族に潜む「愛情」という名の権力・支配・暴力の怖さを生々しく語ります。

 カウンセラーとは、「心のお悩み相談」を仕事にしていると思われているだろうが、近年の私の実感はそうではない。家族の中に深く隠されている性暴力被害、遠い昔に受けた性虐待の記憶、DVをふるう夫と離婚してから表出される妻のパニック障害と子どもから母への暴力、これらと向き合うのが仕事になっている。家族愛という美名の裏に隠された数々の加害・被害とどのようにかかわっていくのかという問いを抱えながら、生々しく緊急度の高い現実と四つに組むことは、どこか格闘技にも似ている。―と述べさらに続けます。
 私のカウンセリングに「心」という言葉は不要ではないかと思い始めている。さらに「愛情」という言葉も、時には危険にすら思える。  カウンセリングとは、現実の生々しい関係性に果敢に打って出る、そんな覚悟と潔さがなければ実施できないのではないか、と考えている。と結んでいる。

 今までの「カウンセリング」という概念に一石を投じる投げかけだ!という気がします。    

 2008年4月号から
羽田澄子さん発 「映画『終りよければすべてよし』を作って」
 4月号に登場していただいたのは、記録映画作家の羽田澄子さん。記録映画の 仕事をはじめて55年になるという羽田さん。岩波映画製作所を定年退職した後 、フリーになり、自主作品に取り組み始めた羽田さんだが、その精力的な創作活動には目を見張るものがある。『薄墨の桜』(77)で注目を集めて以降、『早池峰の賦』(82)『AKIKO―あるダンサーの肖像』(85)『痴呆性老人の世界』(86)、『安心して老いるために』(90)『平塚らいてうの生涯』(01)、『住民が選択した町の福祉』(97)、『山中常盤』(04)etc,etc…。  どの作品も話題作であるとともに、特に一番多く作ってこられた「老年」を テーマにした作品には、「“老いて介護が必要になっても、安心して暮らせる システムが社会に必要という”問題提起映画です」とご自分でも書いておられ るように、映画を通して、今の日本の社会への問いかけを続けてこられている 。

 私の作ったいちばん新しい映画は「終りよければすべてよし」という映画で す。現在はあちこちの自主上映会で上映され、私も参加する機会が多くなって います。「終りよければすべてよし」って、何の終りか。「人生の終り」つま り「死」のことです。人間にとって「死」は最も恐ろしく、最も触れたくない ことです。しかし残念なことに誰も「死」から逃れることができません。「死 」は平等にすべての人に訪れるのです。それだけに、人々にとって「死」は縁 起の悪いもので、語るのも触れるのも避けたいものでした。それなのに、なぜ こんな映画を作ったかというと、私はごく自然にこの問題と向き合う状態に到達してしまったのです。
(中略)
 その後、日本に素晴しい福祉システムを築いた秋田県の鷹巣町の姿を記録。 しかしその後、福祉を築いた町長が落選、町村合併し、福祉のレベルはすっか り普通の町になってしまいました。その姿も記録しています。つまりこんな具 合に「人の老年を社会が如何に支えるか」という映画を作り続けた結果、自然 に老いの最期、つまり「死」にたどり着くことになったのです。
(中略)
 この映画は医療の思想・システムについての問題提起でもあり、医療と福祉の 提携の重要さも語っています。  問題の多い現在の日本の医療のあり方を討論するきっかけになってほしいと 願って作ったのですが、上映会を通してその動きを感じて、作ってよかったと 思うこの頃です。    

 2008年3月号から
山城紀子さん発 「『あなたは悪くない』と言い続けよう」
  元沖縄タイムスの記者であり、現在はフリーライターとして女性問題をはじめ、子供や老人、障害者問題等々のテーマで精力的に執筆しておられる山城紀子さんからのメッセージ。
 3月号は『女性情報』の特集でも《絶えぬ性被害―沖縄米兵少女暴行事件―》を取り上げているので、沖縄在住であり、女性問題に深い造詣を持っておられる山城さんに、メッセージをお願いした次第。期待にたがわず、“「あなたは悪くない」と言い続けよう”というタイトルからも分かるように、本当にやさしく熱いメッセージである。

 2月19日、緊急女性集会が沖縄で開催。10日に北谷町でまたしても起こった米兵による女子中学生に対する性犯罪に対して、「もうこれ以上の暴力は許さない!!」との声をあげようという集会である。被害に遭った中学生に呼びかけるように「あなたに落ち度はない」という言葉も繰り返し語られ、すべての在沖海兵隊の撤退などを求めるアピール文を全会一致で採択した。
 しかし集会から10日目、強姦容疑で逮捕され、取り調べを進めていた海兵隊員を釈放したとのニュースが報道される。理由は、被害者本人が「そっとしておいて欲しい」と告訴を取り下げたため。
 今回の「告訴取り下げ」は、本人の意思である以上、尊重されるべきである。しかし、それは社会全体で、被害者の支援をする態勢がないことの表れでもある。心身の苦痛を乗り越えて被害から立ち上がり、自らへの暴力に向き合えるようにするためにも「あなたは悪くない」と私たちは言い続けねばならないと思う。

 という言葉で締めくくっている。    

 2008年2月号から
金住 典子さん発 「自他の尊厳を傷つける鬼と戦う」
 今月登場していただいた金住典子さんは、本職は弁護士。女性の人権確立のために活 動をしておられる。1999年からは、パートナーの原田奈翁雄さんと季刊誌『ひとりから ―対等なまなざしの世界をめざして』を発行されている。10年を機に今年で終刊される とのこと。2008年3月号の『ひとりから』には、終刊を惜しむ読者からの熱いメッセー ジがたくさん寄せられており、この雑誌がどれだけたくさんの人たちの心の支えになっ ていたかがうかがわれ、胸が熱くなる。終刊されるにあたって、この季刊誌が果たして きた役割、目指してこられたことなどについて、書いていただいた。

 「愛や信頼など、ひとりひとりの根っこが壊れきっていて、元気が出ない状況がより深 く見えてきました」―これは、昨年12月27日付朝日新聞に掲載された、「季刊誌『ひと りから』来年で終刊」を報じる記事の中で、私が率直に語った言葉である。
 (略)
 人間の尊厳を傷つける価値観の中心となっているものは、父権制(家父長制)と資本主 義制度を至上とする勢力によって絶えず創り出されている価値観である。男尊女卑、上 下優劣を競う価値観、人間を金や物で自由に支配し動かせる手段(対象)とする人権否 定の価値観である。
 (略)
 人々の根っこが壊れていて元気(自他への人間愛)があふれ出てこないのは、真の人権 意識が育っていないせいだと私は感じている。    

 2008年1月号から
田嶋陽子さん発 「女性がvisibleな存在に!」
 08年1月号は、女性学研究家・田嶋陽子さん発のメッセージ。最近は歌手デビューもし、活躍中。
 07年の年末。報道番組に、日本の財政について女性2人だけの議論があったことから、女性たちが着実に日本の国政を担い論じる地位にエンパワーしつつある現状を語り、世の中、かわりつつあるなと思ったと述べる。
 その他にも女子マラソンの白バイ先導隊ドライバーしかり。薬害肝炎問題でも、女性たちの活躍が国に法律を作らせるまでになったことしかり。女性のエンパワメントぶりは、確かに、かつての「invisible(目に見えない)」な存在から、「visible(目に見える)」存在になりつつある。
 それでもまだ世界から見ると、エンパワメント指数や女性の国会議員数が低く、日本人の人権意識や民主主義の成熟度および日本女性の社会的地位なども、西欧に比べて20年遅れている――とのこと。
 そして日本の政界が、いまだに男の牙城であることを憂い、世界ではすでに、女性大統領、女性首相が活躍していることを述べ、そろそろ国政を担える女性たちが出てきてもいい。やはりまだ20年待たないといけないのか、と結んでいる。
 バリバリのフェミニストである田嶋陽子さんの面目躍如のメッセージ。    

 2007年12月号から
大石芳野さん発 「いま、わたしにできること」
 07年の最後に登場していただくのは、10月にエイボン女性大賞を受賞された写真家の大石芳野さん。
 大石さんは、学生時代に訪れたベトナムで強い衝撃を受け、ドキュメンタリーの写真家になったとのこと。アジア、アフリカなどの戦場や紛争地域で極限状況を生きる人々記録を撮り続けておられる。写真を通して訴え続けてこられたことを、書いていただいた。

 日本の子どもたちがヘンだ、このままでは大変だと思っている大人は多いのではないだろうか。なぜ、子どもがヘンになるのか。こもごも考える。女性たちもみな悩んでもいるし、何とかしたいとも思っている。
 では、写真を撮るわたしには何ができるだろうか。(中略)
 思案に暮れながら、生きたくても生きられない戦禍に喘ぐ子どもたちのことを思う。これまでの平凡ながらも家族と食事をしたり連れ添って歩くといった生活を戦争は一瞬にして壊す。親も周囲の大人も戸惑い錯乱するが、子どもたちは彼らにしがみつくようにして逃げ惑う。(中略)
 ではわたしには何ができるのかと改めて考える。そして素直に自分を見つめ直してみようと長年の写真家生活を振り返ってみた。何を撮り、何に感動し、何を伝えようとしながら、わたしはカメラを肩にあちらこちらを駆け回ってきたのだろうか。何のためなのか・・・。
 伝えるためではなかったのか。伝えられた人たちと現場の人たちとが繋がってほしいと願い、夢中で走り回り、シャッターを押し、記録してきたのではなかったのか。(中略)
 子どもがすくすくと育つように環境を整えながら、紛争、恐怖政治、社会不安などの歪みの芽を根元から見落とさないようにしたい。そのために、わたしたち女性が特に心して良きリーダーシップをとりあっていきたいものである。   

 2007年11月号から
澤登 翠さん発 「女優史を生涯のテーマに」
 今月号では無声映画の弁士となって35年の澤登翠さんに登場していただいた。
 澤登さんは1972年に故松田春翠に入門、国内のみならず、海外でも活躍されている。活弁を通して女優史の掘り起こしに取り組む澤登さんに今回は往年の名女優リリアン・ギッシュを中心に書いていただいた。12月29日には新宿紀伊国屋ホールで恒例の活弁リサイタルを開催予定とのこと。

 リリアン・ギッシュは、周囲がどうあろうとも、輝きの失せぬ光を、愛を保ち続け純化させる精神を、見事に表現したのだ。20年代のハリウッドのタブーに抗って…。
 女優の先駆者として、リリアン・ギッシュやほぼ同時代のメアリー・ピックフォードは企画者、製作者としての資質も備え、ハリウッドのお偉方とも堂々と対峙し、自らを貫く強靭さを持っていた。リリアンは妹のドロシー・ギッシュのために監督となって一本撮り、メアリー・ピックフォードは自らプロダクションを興して製作している。
 無声映画を語る弁士の仕事を通して、多彩な俳優達の人生に向き合って来たが、時と共に忘れられがちな俳優達、特に女優の見直しと再発見を、これからのテーマとして行きたいと思っている。   

 2007年10月号から
宮城晴美さん発 「女・子どもの証言、信用できない?」
 今月号は、沖縄県座間味村生まれの沖縄女性史家で、学生時代から、沖縄戦で起こ った「集団自決」についてジェンダー史の視点で調査・研究している宮城晴美さん。
 「集団自決」について、高校の歴史教科書から日本軍による関与・強制の記述が削 除されたことで、その撤回を求めて、9月末に沖縄で11万人抗議集会が行われた直後 でしたので、急きょ沖縄在住の宮城晴美さんに原稿を依頼し、超多忙な時期にも関わ らず、メッセージを寄せていただきました。

 私の生まれ育った慶良間諸島・座間味島では、「集団自決」の135人の犠牲者のうち 、83%が女・子ども(12歳以下)でした。我が子に手をかけ、母親自身は老父や年若 い弟らに命をゆだね、あるいは自死するという痛ましい事件だったのです。――その 後に、なぜこのような事件が起こったかの原因を述べ、日本軍による住民を死の淵へ と追い込んでいった様子を綴っています。そして宮城さんのお母さんや祖父の方も犠 牲者であったことを記しています。
 「集団自決」を生き残り、その体験を証言する人の圧倒的多数が、「銃後の守り」 といわれた当時の婦人会・女子青年たちである事。つまり、女・子どもだから、その 証言の信憑性を文部大臣らが疑っているのかも知れない。それとも「沖縄の人間」と いう差別意識の表れなのか、と宮城さんは書き、それと関連して「慰安婦」の問題に も触れ、このことも教科書から消された事を憂いています。
 そして、中山成彬元文科大臣の「11万人集まれば教科書が変えられるのか」と批判 したことを批判し、―結構じゃないでしょうか。教科書への復活を求め、私たちがど んどん声をあげれば良いだけです。今回の教科書検定は、決して沖縄だけの問題では ありません。行き着くところは、「憲法改定」ということを念頭に置く必要がありそ うです。―と結んでいます。
 全体を通して沖縄県人ならではの視点とその重みを感じるメッセージだと感じます 。   

 2007年9月号から
三井マリ子さん発 「地球の半分も政治の半分も女のもの」
 今月号は、女性政策研究家で全国フェミニスト議員連盟初代代表だった三井マリ子さんからの、女性に寄せる熱いメッセージ。

 都立高校の教員時代に卒業後の進路担当をしていた頃、同一会社の同一職種の募集用紙を見て、その初任給の男女差に愕然とする三井さん。女性は女に産まれたというただそれだけの理由で男性より社会への門戸が狭いだけでなく、同じ仕事でも男性より女性は5000円も安い現実を、18歳で知らされる。この格差に強い憤りを覚えた三井さん。
 日本にも雇用平等法を作るべきだと確信した三井さんは、中島通子弁護士らが立ち上げた「私たちの男女雇用平等法をつくる会」に入ります。国会でロビー活動などをする中で、国会が男だらけの現実を目の当たりにし、政治の場にもっと女性を増やさなくては、と思った三井さんは、自ら都議会議員に立候補し、当選。いろいろ活動し、政策を実現させた後、「全国フェミニスト議員連盟」を立ち上げ、時にはたった一人で、女性議員を増やす活動を続ける。現在、女性議員は確実に少しずつ増えてはきているが、しかし女性議員が一人もいない「女性ゼロ議会」が4割もある。
 待機児童、DV、セクハラ等々、働く女性が抱える問題が無数にある、この現実をどうしたらいいか。三井さんは「働く女性の立場を考えた政策を議会で進めていく人を増やすことが先決だと思う」と熱く語り、「まずはあなたの住んでいる議会に挑戦してみませんか」と熱く女性に呼び掛けます。   

 2007年8月号から
田中喜美子さん発 「女はすぐれている」
 今月号は、昨年(06年)まで主婦の投稿誌「わいふ」の編集長を26年間務め、最近は子育ての相談業務に活発に関わっている田中喜美子さんからのメッセージ。

 70年代の半ば、この国ではまだ「女性は男性より劣っている」という迷信が横行していた。当時のフェミニストの努力は、もっぱら女は男に劣っていないということを立証することに向けられていたように思う。ところがいまや、フェミニストでも何でもない「ふつうの女性」が、経験に基づいて堂々と「男より女のほうがすぐれている」と断言するようになってきたのだ。
 肉体の「強さ」がモノをいう時代、女は基本的に男にはかなわなかった。しかしいまや「力」でなく、より繊細な知的能力と、さらに人間性そのものの価値で勝負しなければならない時代がやってきている。――そして日本男性は、欧米人にくらべ「子どもっぽい」「威張りたがる」人間が多い、と断罪し、それが「DV」や「戦争」にまで繋がると述べる。

 女は違う。女はその点で男よりすぐれている。そして彼女たちはすぐれている故に社会的に抑圧され、差別されてきたのだ、と田中さんはいう。
 女性原理に基づく社会は「征服と支配」ではなく、「平和と共生」を世界に広げる。そして非戦の「九条」を憲法に持つ日本は、真の意味での女性国家になり得ると私は信じる。と結んでいる。
   

 2007年7月号から
海原純子さん発 「スウ姉さんたちへ」
 7月号に登場していただいたのは、心療内科医であり、最近、歌手活動も再開、全国でコンサートを行っているという海原純子さん。
 小学生のころ「スウ姉さん」という少女小説を読んだという海原さん。スウ姉さんという小説は、長女として生まれたことで、自分の人生を捨てて親や兄弟のためにつくした女性の物語。この小説の感想を教師から聞かれて、「スウ姉さんの人生ってどうなっているんでしょう」と口をすべらして、ひどく怒られという。
 女性クリニックを開いて多くの女性たちを診療してきた海原さんは、「女性クリニックで私は多くの“スウ姉さん”とかかわってきた。」と語る。「よい妻、よい母は、社会に承認された自分の場をもっているといってもよいだろう。―中略―子育てを終えた後、自分の人生を切り開いて欲しい。いつまでも社会に認められるばかりでなく、プロセスを楽しめる何かを人生に加えて欲しいと思うのである。」と、女性たちの多様な人生を決して切り捨てることのない海原さんからのメッセージには、説得力がある。
   

 2007年6月号から
関 千枝子さん発 「女の友情」
 今回は元毎日新聞記者であり、元女性ニューズ編集長の関千枝子さん発のメッセージ。 「女には友はない」と昔、父親から言われて、ショックを受けた関さん。その後の自分の、そして仲間たちの、女の友情の素晴らしさを見たり触れたりして、今は亡き父親に、こころのなかで反論する。

 いま、私は、たくさんの女の友人がいる。小学校から女学校、大学、職場、取材先。あらゆるところで女の友人が出来た。私だけではなく、女どうしで親戚以上のつきあいをしている人は珍しくない。パックツアーに行っても、女のグループが男グループに比べ圧倒的に多い。現役時代、顔の広さを誇っていた男が、定年になると誰も訪ねても来ない。地域で新しい友もつくれず、家に閉じこもっている。そこへいくと女の友情は上下関係や利益ではない。――と女と男の友情の違いに言及する。
 そして話は続く。先日、私は女3人で旅に行った。1人は私の女学校の同級生で、父の会社の経理で働いたNさんで、父の死後もずっと付き合っている女学校以来60年の友。もう1人はやはり父の会社で働いていたIさん。NさんとIさんは会社を辞めたあともずっと仲良く、半世紀の友となっている。女の友情の絆は強く長い。ふと、父が、この旅を冥土から見ていたら何というかな、と思った。――と結んでいる。
   

 2007年5月号から
吉岡しげ美さん発 「だから私は、女性詩を歌い続ける」
 5月号に登場していただいたのは、「日本の女性詩人や歌人の作品に作曲し、歌い続けて30年になる」吉岡しげ美さん。歌うだけではなく、放送、演劇、映画などの音楽担当も多数あり、最近では、映画「こほろぎ嬢」での素晴らしい音楽が記憶に新しい。
 30周年の今年は、CD発売、中国での七夕コンサートのほか、11月9日には30周年記念コンサートを東京有楽町の朝日ホールで開催する予定とのことで、忙しい合い間にメッセージを寄せていただいた。

 与謝野晶子さん、金子みすゞさん、岡本かの子さん、茨木のり子さん、高良留美子さん、新川和江さん…。 私は、詩人たちの言葉に心を重ね、作曲し歌うことによって、多くの生きる指針と勇気をもらってきた。
 時代をこえて、私の心に飛び込んできた、そして私の生き方を豊かに導いてくれた詩の数々。次の時代にも、詩に込められたメッセージが受け止められることを心から願っている。だから、私はこれからも、日本の女性詩人たちが紡いだ生命の詩を、日本で、そして国境をこえて、平和への思いをこめ、謳い続けていきたいと思っている。
   

 2007年4月号から
小山内美江子さん発 「女たちは万物の生命と共にありたい」
 創刊22年目を迎えた4月号は、小山内美江子さんからのメッセージ。「3年B組金八先生」の脚本家として知らない人はない小山内さんだが、ボランティアでカンボジアに学校をつくる活動をされている社会活動家でもある。女学校時代に戦争体験を持つ小山内さんからは、「戦争は真っ平。いつか来た道はイヤです」と体験をもとに説得力のあるメッセージが寄せられた。

 62年前の8月6日、テレビもITもない時代だったから、私たちは広島で何があったか知るすべはなかった。 「新型爆弾とは光による兵器だから、白い服を着用すれば光を反射できますから―」それまでは機銃掃射に狙われるからと言われて着ていたネズミ色を夏の白い女学校の制服に着替えたけれど、核兵器なるものの正体が分った時、白い服ぐらいで助かるわけがないではないかと、目もくらむほどの怒りが湧いてきて、その怒りはいまだ私の中から消えることはない。
 いつか来た道に決して戻らないためには、本当に子らの未来を思うならば、女たちは大いに姦しく、戦争が出来る国なんてイヤッ!!と声を合わせたい。
   

 2007年3月号から
樋口恵子さん発 「長寿社会の資産と不良債権」
 今月号は「高齢社会をよくする女性の会」理事長の樋口恵子さんからのメッセージ。  昭和に入っても平均寿命は50歳に及ばない時代を経て、今や平均寿命は女性は85を超え、男性は79に近い。いったん生まれたら、年老いるまでなかなか死なない社会が実現した。長寿は平和と豊かさの所産である。「人生80年」を日本など多くの先進国は突き抜けて「人生100年」に近づきつつある。そこで人類未踏の「人生後半の半世紀」の生き方老い方の現状が少しずつ見え始めた。
 はっきりしてきたのは、固定的な性役割分業の破綻。団塊世代の07年問題は、「男は仕事」で生きてきた定年後の男性の生き方の問い直しである。小まめに身体を動かして衣食住の日常生活の自立が出来る人の健康寿命が長く、逆に身辺の自立さえ妻に依存する男性は、妻の健康を害し、自分の心身の能力も早めに衰えさせることがデーターで分かってきている。要するに行き過ぎた性別役割分業は、人生100年の最終ステージで、社会の不良債権となり、本人の不幸となることは明らか。自分で出来ることは自分でして、周囲の人と豊かに人交わりしつつ生きる高齢者は、この世の資産であるという。
 長年高齢社会を見据えてきた樋口恵子さんならではのメッセージ。
   

 2007年2月号から
林 佳恵さん発 「『したくないことは しない』から…。」
 今月号は、長い間、本誌の表紙デザインを担当していただいている装幀家の林佳恵さんからのメッセージ。本の装幀だけではなく、きもののデザインや街づくりのプロデューサーなど幅広い分野で活躍しておられる林さんが、ご自身の人生の中から「したくないことは しない」というメッセージを届けて下さいました。
 ある時まで、じぶんはしたいことをして生きてきたと思っていましたが、実は、したくないことをしないできたのだと気付かされました。 (中略)  自分を崩壊させないためには、「したくないことは、しない」なのです。自分を守るとは「いのち」を守ることではないでしょうか。
 「いのち」を捧げることをうながし美化する風潮が高まっています。この国の「いのち」を軽視する「いま」と「ここ」に否と。
   

 2007年1月号から
吉武輝子さん発  「後始末のある政治を!」
 「職場でも地域でも家庭でも女はいつも後始末役を引き受けてきた。考えてみたら、戦争も環境破壊も凡て永久に後始末ができない。やりっぱなしで後始末の思想の無い男たちが政治をやり続けている限りは、次世代の命にツケをまわしつづける。今政治に必要なのは後始末の思想ではないか?」。
 日本の女性が初めて参政権を行使したのは敗戦の年の翌年の4月10日。何と83人の女性が立候補、37人が当選。「与えられたチャンスをつかんでくれる先輩がいてくれるから、後輩の道が開かれる。この先輩たちのように後輩が生き易い道作りをしよう」との決意のもと、77年の参院選に立候補。45歳のとき。その時、掲げられた選挙スローガンが「後始末の思想のある政治を!」
 いま日本は急速に戦争のできる国に向かって突き進んでいる。憲法「改正」の声も声高になっている。今年は選挙の年。「後始末の思想のある政治を!」を合言葉に、次世代の命の防波堤になる不動の決意を女たちは固めなくては。
 吉武輝子さんからの熱いメッセージです。
   

 12月号から
河野貴代美さん発  「グラスルート・レベルでは誰も脱国家人」
   「フェミニストカウンセリング」を日本に初めて紹介した河野貴代美さん。現在はお茶の水大学ジェンダー研究センター客員教授としてアフガニスタン、カブール大学で「こころのケア」の授業に携わっておられる。そこから見えてきたものは「脱国家人」というメッセージ。
 アフガンで支援に取り組む中村哲さんは、草の根レベルでアフガン人は国家という概念に特に執着していないのではないか、国境などないのではと言う。確かに国家を抱えて闘っているのは「普通の人」たちではない。普通のアフガン人は普通に仕事を得て、普通に暮らしたいのである。ちなみに平和構築にもっとも必用なものは安定した仕事と教育だと痛感する。  思えば、あの第二次世界大戦、普通の人間だった私の親は、戦争を奨励することもなければ、声高に反対もしなかった。彼らにとって国家などどうでもよかったのであろう。それをこころに刻んだことだ。
   

 11月号から
香山リカさん発  「授業を聞いていない女子学生たちへ」
 関東の病院での診療の他に、関西の大学で教鞭を取る事7年の香山さんから、現代女子学生の状況を伝える、痛烈な現場からのメッセージ。
 「出欠は取らないから休んでもいいよ」と言っても教室にやってくる学生たち。しかし授業は聞いていない。携帯メール、おしゃべり、お菓子を食べたり、化粧道具を広げてのフルメークまで…。この無気力の背景にあるものは、彼女たちには将来への「展望がない」のだと香山さんは見る。雇用機会均等法があり、誰にもその気になればチャンスは公平にあるはずなのである。原則的には。しかし、現実はそうではない。能力や気力がとりわけ秀でている人ではない限り、「地方出身」「コネなし」「女性」の三重奏は即、「夢など持ってはいけない」ということを意味する。
 授業中はぼーとしないで。がんばって勉強して。あなたには無限の可能性があるのだから。女子学生たちに堂々とそうやって注意できる日は、いったいいつ来るのだろう。と香山さんのメッセージは結ぶ。
   

 10月号から
上野千鶴子さん発  「闘って得たものは闘って守り抜く」
  バックラッシュの嵐の中で「闘って得たものは、闘って守り抜こう」と上野千鶴子さ んからの力強いメッセージが届いた。
 闘って獲得したものでなく、与えられた権利はたやすく奪われる。闘って獲得した 権利ですら、闘って守りつづけなければ、足元を掘り崩される。女の元気を喜ぶひと たちばかりではない。「女は黙っていろ」、「おとなしく台所へひっこんでいろ」、 「生意気だ、でしゃばるな」という声は、潜在的にはいたるところにある。
 歴史には「一歩前進二歩後退」もあることを、過去の教訓は教えてくれる。未来は明 るいばかりではない。というより、「明るい未来」はだまっていてもやってこない。 ある朝起きてみたら、こんなはずではなかった…と思わないですむために、今、果た さなければならない責務がある。
   

 9月号から
小倉千加子さん発  「幸福に生きるということ」
 小倉さん曰く ―「幸福」とは、高い精神力が低い精神力に打ち負かされない状態のことである。―と。 そして 高い精神力を確認するために、低い精神力を「身体」に投影し、「身体」を傷つけてはならない。「身体」は、歓びを表現するためにあるのであって、痛みを受けるためにあるものではない。 自分一人の利益と、社会の中での「相対的優越」を求めることを人生の目標としてはならない。自分の人生は、他のすべての者の人生と繋がっている。海に一滴の水を落とすと、それが海全体に拡散するように。 金銭のために「心にもない仕事」に就くことには、それが倫理に悖らない限り、少々のことは耐え忍ばなければならない。 最後に 回避すべき唯一のもの、それは「心にもない結婚」である。そこでは、低い精神力が高い精神力を必ず蝕むからである。と結ぶ。 文章のあちこちに小倉流「幸福に生きるということ」の意味が散りばめられています。
   

 8月号から
北原みのりさん発  「明日へのメッセージ 女を物語る」
 8月号は、女性のためのセックスグッズストアー「ラブピースクラブ」を主宰する若手のフェミニスト、北原みのりさんからのメッセージ!

 いつの間にか「明日」という言葉に、私は「不安」の要素をいくつも見つけてしまう体質になっていたようだ。20代の頃はどんなに嫌なことがあっても「明日があるさ!」と立ち上がれたように思うが。今の私は、「明日もあるのか」とため息をついていたりする。
 と、「明日」への希望を見出せない北原さんが、生きる希望を求めるために、女の物語がもっとほしい。“女を物語る力”そんな創造力にこそ未来があるのでは…と想いを語ります。
   

 7月号から
落合恵子さん発  「明日に向かって、今日は怒る!」
 7月号で登場していただいたのは、落合恵子さん。
 在宅でお母様を介護しながら、いくつもの連載の執筆や講演活動をこなし、さらに東京・青山のクレヨンハウスの主宰者でもある落合恵子さん。 常に「声の小さい人々」の側に立つ落合恵子さんから、力のこもったメッセージを寄せていただきました。
 「『怒りの貯水池』と呼ばれた女がいる。リリアン・ヘルマン、アメリカの劇作家である。〜中略〜  戯曲『子供たちの時間』でデビューしたリリアン・ヘルマンがハリウッドに招かれ、シナリオライターとして活躍していた頃、かの悪名高きマッカーシズム(赤狩り)の嵐が吹き荒れる。
 生き延びるために友人や仲間を『売る』人々を尻目に、彼女は次のようなメッセージを非米活動委員会に送ったという。」
 リリアン・ヘルマンの名著『眠れない時代』を思い起こしながら、日本の「いま」を考えさせられる、落合恵子さんからの力の入ったメッセージです。  

 6月号から
土井たか子さん発  「くらしの中に憲法を生かす」
 4月、5月号は高野悦子さんのインタビューを掲載しましたが、今月号からは、志を持って活躍されている女性の方々に原稿を寄せていただくことで、新しいシリーズが始まります。
 第1回目に登場していただいたのは、土井たか子さん。
 「1969年12月、同志社大学で日本国憲法の講義をしていた私は〜中略〜衆議院選挙に立候補、初当選。486名の議席数の中で女性はたった7名でした。」と始まる土井たか子さんの議員人生。
 初の女性党首、史上初の女性衆議院議長と女性議員の歴史を大きく塗り替えてこられた土井たか子さんが一貫して貫いてこられた政治活動の原点は「くらしの中に憲法を生かす」こと。

 5月号から
インタビュー 高野悦子さん
高野悦子さんの38歳からの後半生がドラマチックに語られます。
九死に一生を得る大病のあとはスローライフな日々の暮しに。 でも、これから力を入れていきたい3つのことは@岩波ホールの仕事A国立フィルムセンターの仕事B東京国際女性映画祭の仕事とのこと。
ドキドキ・ゾクゾク・キューンの感動がある限り続けたい…。

インタビュアー 島ア今日子さんから
はじめて高野さんにお目にかかりました。映画界という典型的な男社会の中で闘ってこられた方ということで尊敬していましたが、同時に、手の届かない選ばれた人、と思っていました。つまり、えらすぎる人、と。しかし、実際インタビューすると、お話が面白くって。イメージよりずっとぶっとんだ方でした。高野さんの周りに自然と人が集まる理由がよーくわかりました。この短いスペースでは高野さんの奔放な魅力が伝えきれないだろうなと、それだけが残念です。

 4月号から
インタビュー 高野悦子さん
高野悦子さん
 創刊20周年に当たり、新企画「女たちの未来 明日へのメッセージ」を今回から新連載いたします。いろいろな分野の女性たちから、今後の女たちの未来に向かっての希望・展望などのメッセージをいただいて、それを掲載していく予定です。
 第1回目は、創刊20周年特集号ということで、高野悦子さんにご登場いただきました。くしくも創刊10周年のとき、高野さんにお祝いのメッセージを巻頭にお書きいただきました。
 今回は4月・5月号の2回連載で、島崎今日子さんにインタビューしていただいた記事を掲載します。